僕は大学に通った経験がありませんので
周囲の同級生たちに比べると暇な時間が多い人間でした。

 

もちろん、個人的には忙しくヒーコラ言ってるつもりでしたが
友人達は学業、バイト、就職活動と数多くのことを頑張っていたので
彼らから見たら僕なんかただの暇人に見えたことでしょう。

 

人から「暇人だね」と言われると何だか恥ずかしい気分になりました。

 

働かざる者、食うべからずという言葉もありますし
ドラマも映画もJ-POPも夢のために頑張れと言っています。

 

家でゴロゴロ過ごすのはいけないことで
忙しく何かをしていないと『人』ではないように思えました。

 

なので自分以上に暇な人の存在を知ると
何だか勝ったような気分になって誇らしくなりました。

 

でも、心の奥底では海外のようなロングバケーションに憧れていて
毎日のように仕事を辞めたい辞めたいと連呼してたのだからおかしなものです。

 

 

それから程なくして、友人から
『金持ち父さん、貧乏父さん』という本をお勧めされ
時間労働ではなく不労収入を得る魅力を知りました。

参考記事:金持ち父さんキャッシュフローゲームに参加した感想

 

現代はネットが発達して個人がビジネスを行いやすくなったので
不労収入で自由に生きている個人がたくさんいることも知りました。

 

でもって、彼らは決まって僕とは真逆の価値観を持っていて
彼らの世界では忙しく働くことはステータスではありませんでした。

 

会社、仕事よりも個人を優先すべき

働く時間より遊ぶ時間を大事にすべき

老人のようにボーっと過ごしてもいいじゃない

 

価値観が違えば常識って180度変わるんだなぁーと驚愕したものです。

 

んで冷静になって考えてみたら
僕が望んでいる人生は彼らと同じでした。

 

今度は途端に、忙しいことが恥ずかしく思えてきました。

 

もちろん価値観は人によって違うので
忙しく生きていないと心地が悪いという人がいるのも解ります。

 

例えば僕の知人には親の遺産相続で一生遊べるお金があるのに
自ら事業を起こして毎日忙しく労働している人がいます。

 

彼がクソ忙しいのは傍から見てても一目瞭然ですが彼は楽しそうです。
多分、忙しく働くことが大好きなのでしょう。

 

もちろん、やりたくもない事を強制されて忙しかったら彼も辛いと思いますが
彼にとって仕事は誰かに強制された『やりたくないこと』ではありません。

 

彼は自分がやりたくて仕事をやってるんだから幸せそうです。
子供がテレビゲームに熱中してるように仕事に熱中してます。

 

忙しいのか、暇なのかは重要ではなく
望んだ生き方ができてるかどうかが重要みたいですね。

 

 

で、僕にとって望んだ生き方は『暇人』になることでした。

どう考えても仕事してるより家でボーっとしてる時間の方が愛おしいと感じました。

 

ゆえに、かつて望んだ自由を実現した今の生活を愛しく感じます。
何の目的もなく、意味もなくソファーでボーっとできるのは幸せなことです。

 

 

人生の目的と適したコミュニティに属するって大事ですね。

 

望んだゴールが得られないコミュニティに属してしまうと
周囲の価値観との違いが摩擦となって精神を擦り減らしていきます。

 

例えば『自由に生きたい』という目的は
一般的な会社に勤めている以上、果たすことが難しいので
勤めれば勤めるほど精神が擦り減るものです。

 

「こんなはずじゃなかった」「周囲と馴染めない」などなど。

 

その精神摩擦に定年まで40年耐え抜くのもまた一興ですが
思い切ってコミュニティを変えた方が幸せになれるんじゃないかなぁと思います。

 

それは決して簡単なことではありませんが
成功すれば人生が激変するのでチャレンジする価値はありそうですね。

 

収入の得方が変化するだけで生活は大きく変わるものです。