仕事は1日1時間!その計画の実現法をゆるーく話す

もしも高齢の親がレジ打ちバイトをはじめたら…

脱サラぐらし!とは
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ふとした拍子に枕を変えたくなって財布だけ持ちドライブに出ることがある。
衝動的なことなので宿の予約は取らないが平日を選べばあまり問題はない。
(途中で気が変わったらそのまま家に帰ればよろし)

 

ドライブ中、普段は通わないコンビニに立ち寄った。

 

適当に飲み物をセレクトしてレジへ向かうと
平日の昼間に似つかわしくない行列ができている。

 

見てみると、レジに立っているのは初老のおばさんで
その胸には手書きで「研修中」との文字がデカデカと書かれていた。

 

年の瀬60歳ぐらい?だろうか。
僕の母親と同じぐらいの背格好に、思わず姿を重ねてしまう。

 

おばさんの後ろでは彼女の娘でもおかしくないほど歳の離れた店員が
目をギラつかせてミスをチェックしている。

(僕は、このレジの渋滞の原因を理解した)

 

ようやく僕のお会計の番がきた。

 

「いらっしゃいませ…」

 

おばさんは一生懸命ひとつ前のお会計のお金をレジに閉まっていたが
その動きはノロノロとしていて、動作に不慣れなことを物語っている。

 

「肉まん1つお願いします」

「肉まん…はい、肉まんですね。えーと…」

 

研修中のおばさんに対して鬼畜な要求をしてしまったのかもしれない。
なんだか、罪悪感を感じてしまった。

 

「お会計、●●●円になります」

「じゃあ、千円で」

「おつりは……あ!」

 

彼女が僕に手渡そうとしたお釣りは僕の手に収まらずに
チャリンチャリンとレジにぶちまけられてしまった。

 

「すいません、すいません(汗)」

「全然オッケーですよ♪ありがとうございます」

 

「あ!」

「!?」

 

「すいません、飲み物1つ通し忘れてました…」

「本当ですかw了解でっす!」

 

僕はレジを担当してくれたおばちゃんにお礼を告げて車に戻った。

 

自分もかつて接客業(レジ打ち)で生きていた。
その経験のせいか店員さんのミスにわざわざ目くじらを立てる気にはならない。
(未経験者歓迎のアルバイトなら、そりゃあミスもあるがな…)

 

僕がレジ打ちをやっていた時に一番辛かったのは言葉の交信がなかったときだ。
僕だけが一方的に喋り、相手からのレスポンスが何もない瞬間が一番辛かった。

 

「いらっしゃいませ」「……」

「ありがとうございました」「……」

 

そのようなとき自分はまるで自動販売機のような存在なのだと感じて辛かった。

 

なので僕は店員さんとの会話は100%レスポンスを返すようにしている。
一方的で押しつけがましい僕の自己満足だが、僕がそうしたいからそうしている。

 

レジを打ってもらったなら「ありがとうございます」と伝えるのは当然のことだ。

 

 

再び車を走らせたが、すでに今夜の宿への関心はなくなっていた。
僕の頭の中には先ほどの研修中のおばちゃんの姿が焼き付いてしまっていた。

 

「あのおばちゃん…大丈夫かな。やってけるのかな」

 

おそらく彼女はこれからたくさんお客や同僚、上司に怒られるのだろう。

 

あの不慣れな手つき、たどたどしいトーク…。
勝手な想像だがもしかしたら彼女にとって初めての接客業なのかもしれない。

 

この歳になって急に働かざるを得ない理由ができてしまい
急遽タウンワークを広げて一生懸命仕事を探したのかもしれない。

 

いやいや、案外過去には自分で会社を持ってバリバリ仕事をこなしていて
人の下で使われることに不慣れなだけかもしれない。

 

おばさんのことを考えていたら
勝手に想像した彼女の今までの人生が溢れてきた。

 

この歳になって不慣れなコンビニ店員にならなくてはいけなかった今までの人生を
想像しはじめたら止まらなくなってしまった。

 

僕は母親に会いたくなって宿を目指すのをやめた。
あのおばちゃんが僕の母親に似ていたせいだ。

 

何が幸せなのか、それは人それぞれだろう。

何が辛いのか、何が悲しいのかも人それぞれ。

 

例えばレジ打ち時代の僕が悲しがっていた「一人会話」も
同僚たちにとってはなんてことない痛くも痒くもない出来事だった。

 

でも、これだけは確かなんじゃないだろうか。

 

人はやりたいことはやりたいが、やりたくないことはやりたくない。

大切な人が辛い思いをしていると自分も辛い。

 

おばちゃんにとってコンビニのレジ打ちは昔からの夢だろうか?
「やりたくないけど仕方なく」やってることなのではないだろうか?

 

おばちゃんに僕と同じ歳ぐらいの息子、娘がいたとしたら自分の親が「やりたくないことを仕方なく」行ってる現実に胸が痛んではいないだろうか?

 

まったくもって勝手な妄想なのだが思わず自分に置き換えて考えてしまった。

自分がそのような立場ならかなり辛い。

 

もちろん仮におばちゃんが辛い思いをしてたとしても僕は聖者じゃない。
結局のところ他人事だし彼女を助けられても助けたりしないだろう。

 

僕は僕と身の回りの人達の自由を確保するだけで精一杯だし
前述したように人生で何が大切なのかは人によって違う。

 

僕が提唱する自由な不労生活というライフスタイルに対して
おばちゃんが「クソ食らえ」と思っているなら僕の手助けは有難迷惑というものだ。

 

「みんな自由に生きるべき!」なんて、おこがましくて言う気にならない。

 

でもせめて、道を作ることぐらいはできる。

 

例えば「自由になりたい」と願いながら望まない労働を強いられる人に
あるいはそのような親を持つ息子や娘に前例を示すことぐらいはできるのではないか。

昔、レジ打ちで抜け殻になっていた僕に、希望を見せてくれた先人のように。

 

僕にとって「自由な人生」なんてハリー・ポッターやシンデレラと同じ、おとぎ話だった。
まるでピーターパンのネバーランドと同じく想像上の空想世界だった。

 

でも、偉大な先人は、当時の僕が住む世界と空想上の世界に橋を架けてくれた。

橋が架かったおかげで「この先に自分も進めるんだ」という希望を持つことができた。

 

僕には世界を変える力はないし、その気もないが
あちら側とこちら側を繋ぐ橋を架けることぐらいはできると思う。

 

そして僕が架けた橋を通ってこちら側の世界に来た誰かが
また別の誰かのために橋を架けてくれたならなんて素晴らしいことだろう。

 

一つの島に無数の橋が架かり、袋小路に迷う人の新たな選択肢になる。
そうなればいいなぁ、と思う。

 

このブログも橋のような役割を果たし、誰かに希望を与えられたらいいなぁ

綺麗事なんて柄じゃないけど、そんなことを考えてしまった一日でした。

 

PS.

一方、母親はソファーの上でトドのようにドーンと寝ていた…。

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ABOUTこの記事をかいた人

たつもん

「好きなことで暮らす」を合言葉に14歳で学校をやめ、19歳で趣味を仕事にしはじめる。

インターネットで「暮らしの雑学」を発信しつつ、クリエイター(販売者)とファン(お客)を繋げる活動に注力している。

【以下、これまで仕事にしてきた趣味】
プロ漫画読み・絵描き・ゲームクリエイター・映像クリエイター・ゲーム実況者・作曲家・作詞家・編曲家・パフォーマー・ビジネスコンサルティング・販売アドバイザー